18歳差の壁

ひと回り以上年下男子に溺愛されてとまどうアラフォー

うしのキス

 うしを男として意識したのは、はじめてキスをされた時だ。


 居酒屋の個室で、良い感じに酔っぱらって、うしが自分は高校時代ピッチャーだったなんて言うもんだから、まじまじとその右手を見せてもらっていた時。
 親指の付け根がふっくらしているねえ、などと言って、完全に出来上がっていた。

 そういう時のうしはポーカーフェイスなのね。

 完全に油断していて、うしにぐっと手を抑え込まれて、テーブルの反対側から体を大きく乗り出してキスをされたわけさ。
 

 わたしはどちらかというと肉食で、キスなんか自分からするもんで、困っている顔を見るのも趣味のような感覚だったから、それはそれはびっくりしましたよ。
 でもその時、とっさに思ったのは、ああ、これでわたしは完全に有罪だ……でした。
 とっくに愛情なんかなくても、子供がいる限り、彼ら最優先にするべきで、こんなことを望んでいたわけではないのになー、と。
 

 どこでどう間違ってしまったのか、いま思いなおしても良くわからないけれど、自分という人間は思っているよりずっと弱い生き物なんだと思い知らされましたよ。
 やっぱりわたしは、好んで浮気や不倫をするひとの気持ちはわからない。せっかくの時間も、心から楽しめないもの。


 だからといって、自分を不幸の塊にも思えないのね。だってどっかきっとそれを望んでいたのだろうから。


 もうやめたかったのね、結婚生活。

 もうすでに詰んでいて、それに気づいていても、どうやって片付けていけばいいのかわからなかったんだと思う。

 なんだか、そんなことに気が付かされてしまうキスでした。
 うしが男に見えてきてしまって、すごく戸惑ったし、もうこれは言い訳出来ないなと思った。


 だからこそ思うんだけど、うしじゃなかったら、きっとやばかったね、わたし。変な男と絡んでいたらと思うと、本当に恐ろしいよ。


 そこから怒涛の如く別居・転居・転校・調停・職探しと、問題が押し寄せてくるんだけど、ここ最近、ようやくですよ。うしとのなれそめを振り返る余裕が出てきたのは。
 うしはロマンチストな一面があるので、とても愛情表現が豊かなひとなのね。最初のころはそれについていけなくて、良く険悪になったものだ。なんて能天気な奴だ、と。でもすぐに、ああ、18も下なんだもんな、怒るだけ無駄か、と。


 街中ですぐに抱きついてこられるのも、わたしは冷や冷やするのよ。誰かに見られたら、と。
 それってとてもうしには失礼なことなんだけど、ちゃんと覚悟もないまま付き合っているわけだから、わたしはそうなってしまうのね。


 そんなときのうしは少し寂しそうに、離れて歩くのよ。ずんずん先に行っちゃうのも怒っているわけではなくて、耐えているのね。


(こんなおばさんになんでここまでして……)

 こんなこと正直には話せないし、ひとりもんもんとしていたな。


 仕事から帰ってきて、それからバイトに行くまでの間にうしは声を聞きたいといって電話をかけてくる。でもわたしはその時スーパーで買い物をして、夕飯の支度をしている。スピーカーにして、甘い言葉をささやかれても困ってしまうだけ。わたしは冷たくあしらう。そのうち、うしからの電話がかかってこなくなった。それでもうしの機嫌はいつもとかわらない。


 調停が少しずつ落ち着いてきたころ、わたしはようやく気が付いた。毎日がとても快適に送れることに。


 うしは黙って耐えてくれていたのだ。わたしの不満や要望を心に留めて、わたしの生活軸にそうように変化してくれていたのだ。


 ずっとひとりぼっちで家庭を切り盛りしていたわたしの涙腺は崩壊ですよ。


 夫に、もっとわたしの話を聞いて欲しかったし、寄り添って欲しかった。でもそれが叶わなかったから、わたしはもう何年も前から詰んでいたのだ。


 ある日のデートで、大きなリュックを担いできたうし。珍しくスーツの日なのに、勿体ないと笑うわたしに、居酒屋の席に着いたとたん、うしはおもむろにリュックをあけて、スニーカーの入った大きな箱を取り出して私に差し出した。

 誕生日でもないのに、なんでと戸惑うわたしに、いいのがあったから、と、ちょっと早口に言った。


 夫に捨てられるようにして離婚を突きつけられていたわたしを、うしはいつも全力で肯定してくれる。


 うしがいつか誰か別のひとを好きになってわたしのもとを離れてしまうかもしれないけど、この離婚の過渡期にわたしを全力で支えて守ってくれたのはうしだという事実は絶対に忘れないでいたい。


 わたしがなには優れていたのではなく、うしの、その若さゆえに、周りも自分自身もその魅力に気が付いていないというだけの話。

 


 人生って残酷だなぁ、とつぶやいたうしの気持ちが、いまのわたしにはすごく良くわかる。