18歳差の壁

ひと回り以上年下男子に溺愛されてとまどうアラフォー

わたしがうしと出会うまでのこと

 うしと初めて会ったのは、夫がうつ病と診断されて、会社を休職するようになった夏ごろの事。

 その数年前からわたしたちはケンカばかりで、正直、うまくいっているとは言えない状態だったと思う。

 それでも結婚したし、下の子供もまだ小学生だし、離婚なんて考えられない状態だった。

 わたしは長女を連れた再婚で、その子が発達障害と診断されたころでもあって、わたしはそのことで頭がいっぱいだった。

 どうしたらいいのかわからない状態が数年続いていて、とても疲れていた。

 日ごろから頼りない夫に連れ子の深刻な相談をするわけにもいかず、自分だけでどうにかしないといけないと、自分自身で自分を追い詰めてしまっていたんだと思う。

 そんなときの夫のうつ病

 会社の上司に様子がおかしいと指摘されたときは、正直ほっとした。

 彼は、ずっと前から見た感じと違って、スイッチが入ると無意味に頑固な面があって、話が通じないこともたくさんあって、それでもプライドの高い夫の母に相談なんかできなかった。

 それでも、わたしは自分の娘が発達障害と診断されてから、どこかで彼の発達障害を疑っていた。

 上司から指摘されて、これで大義名分を得たと思い、病院にも付き添い、この際だからちゃんと診てもらったほうが良いと、夫の母も言っていた。

 だけどそれはうわべだけで、本当は自分の息子がなにかおかしいと指摘されたことが相当悔しかったのだと思う。

 うつ病と診断された直後、義母が静養のためにと夫を実家に連れて帰ってしまった。その時の夫は、

『着替えを取りにすぐに帰ってくるから』

と言っていたし、その当日も新聞の購読も継続させていたにもかかわらず、そのひと月後、夫がものすごい剣幕で、

『おれは騙されていた!お前とは離婚する!』

そう宣言されて、そこからわずかな現金を手切れ金とばかりに渡したきり、急に、夫から生活費をもらうことがまったくできなくなった。

 うしと会うようになったのは、ちょうどコロナが収まりかけたどうかのころで、誰かに愚痴を聞いてほしかったから、わたしは何気なくマッチングアプリで飲み友達を探した。

 願わくば同世代で、お昼に軽く飲める既婚者が良かった。

 ずっと夫が家にいるのは想像以上に窮屈で、被害者意識が日に日に強くなっていく夫はとても攻撃的で、わたしはそんな毎日にうんざりしていた。異常な精神状態だったと思う。でなければ、いまさらこの年になって知らない人と飲みに行こうなんて思うはずがない。第一、面倒くさい。

 夫が休職中になってしまったので、自分が働きに出なければならないので、就職活動を始めてはいたのだが、おもうように決まらなかったことも大きかったと思う。

 マッチングアプリで誰かと会う口実でも作らなければ、わたしはどこにも行く場所がなかったのだ。

 友達には深刻過ぎてそんなこと話せないし、それに話すような心の準備もまだできていなかった。

 本当に、ただなんとなく、昼間の時間を埋めてくれる相手が欲しかったのだ。

 何人かとやり取りして、実際に会ったのは3人くらいだっただろうか。

 ひとりは年上のバツイチで、娘さんがうちの娘と同い年で、子供の話で打ち解けた。でもタバコのにおいが嫌だった。

 もうひとりは既婚者で、子供が発達障害という点で共感できるところもあったけれど、浮気したい気持ちが前面に出ていて、昼間の飲み屋にいることだけでも苦痛ですぐにやり取りを辞めてしまった。

 うしはそのうちのひとりだった。

 年齢を聞いて、ああ……ないな、と正直なところ思っていたので、最初のころのやり取りはあまり覚えていない。

 ふた月くらいやり取りが続いて、一度会ってみようという話になって、新宿で待ち合わせた。

 おそらくママ活でもしようという魂胆なのだろうと思い、適当にあしらって帰ろうと思っていた。

 結局のところ、わたし飲み友達が欲しかっただけなので、居酒屋で、その場だけ楽しく飲めれば良かったのだ。

 待ち合わせの場所に現れたうしはツーブロックで、髪を逆立てていて、全身真っ黒で体格も良く、小柄なレスラーのようだった。

 黒いマスクからのぞく大きな目と首のあたりに幼さが残っていて、その見た目は、脱力してしまいそうなほど子供だった。

 わたしが気を使って話を振ってもあんまり笑わないし、丁寧だけどぶっきらぼうな話し方で、なんなんだろう、この時間……と思いつつ、とりあえず入ったガストでずっとビールを飲んでいた。

 次の店に行こうと誘いもしないし、特に盛り上がりもしないので、わたしたちはそのまま数時間ガストでフライドポテトとビールだけで過ごしていた。

 そんな感じの関係が続いていて、何度目かの時に、うしはとても言いにくそうにあることを打ち明けてきた。

『……おれ、夜、バイトしてるんだよね』

 7時過ぎると、ぱたっと連絡が来なくなるので、わたしはてっきり彼女と一緒にいるのだろうと思っていたから、へえー、そうなんだ、と思った。それだけだったので、なんで言いにくそうにしてるのかと聞いたわたしに、うしは言った。

『夜もバイトしてるって、なんかかっこわるいじゃん……』

その時のうしの横顔をいまでも覚えてる。

 うしは、自分は父子家庭で育ったのだと教えてくれた。親が再婚して、弟がふたりいて、そのときには父親が失業中だということも教えてくれた。

 母子家庭で育ったわたしにも覚えがあるが、家が裕福でないと子供も早く働かないといけない雰囲気があって、でもまわりの友達が似たような環境でないと、そこにはなんとのいえない温度差があって、家が大変だということを打ち明けるとその場が白けてしまう。そんなうしの気持ちが、わたしには痛いほどよくわかった。

 その時はじめて、いいやつだなあ、と思った。

 そこをわたし打ち明けてからのうしは、少しずつ自分のことを話すようになってきて、自分の夢ややりたいことを話してくれた。

 裕福な家庭に育った夫はとても打たれ弱く、なんでもかんでも人に頼る癖があったから、うしの心の強さが、私にはとても新鮮にうつった。

 自分のことを怠け者だというわりには、働いて稼ぐということに対してとても貪欲で、自分はいま何を求められていて、何ができて何ができないか。そんなことを理路整然と話す様子は衝撃的だったからとても鮮明に覚えている。

 11月に入ったころには、わたしはうしに会いに行くことがちょっと楽しみになっていた。

 だけどうしはダブルワークをしていて、資格取得のための勉強もしていたので、そもそも会える時間がなかなか取れないひとだった。だからひと月に一回程度会えるかどうかで、あとはすべてLINEでのやり取りだった。

 

 12月に入ったころには、夫から住んでいたマンションも引き払うように言われ、わたしは小学生の子供の転校の手続きと、引っ越しの準備。長女の高校転校の手続きと、気の狂うような忙しさだった。

 1月に入ったころ、期限付きの離婚届けが届き、その書類に戸惑っていると、矢継ぎ早に、2月には離婚調停の書類が届いて、そこには親権でも争う旨、記載されていた。

 その書類を手が震えたのをよく覚えている。

 離婚するということに関しては、自分ももう限界だと思っていたので、仕方ないことだと感じていて、それをいつにするかで自分も悩んではいたけれど、夫がそれに応じなかった。

 直してほしいと言っても話がかみ合わない相手とはなんど話あっても徒労に終わる。

 小さい子供がいるから、その子の心の問題もあるから上手に進めていかないといけないと思っていた矢先の急展開だった。

 離婚することになったから、小学校を転校しなければいけないと伝えると、下の子は泣いていた。

 

 10月に仕事を決めたばかりだったとはいえ、家を奪われ、生活費ももらうことができなくなり、今度は子供も引き取ると言われてショックを受けていたが、もっと大きなショックは、夫が立てた弁護士から、夫の離婚理由が私の浪費だと聞かされたことと、仕事が嫌で辛くてと本人が語っていたにも関わらず、うつ病の原因をわたしのせいだと言われたことだった。

 その電話を受けた日、わたしはうしと会う約束をしていた。午前中に区役所で婚姻費用分担調停を起こすために必要な書類を取る予定だったのが、本籍地まで取りに行かなくてはいけなってしまっていて、そんな時の弁護士からの電話だった。心はぼろぼろだった。

 これから向かうと言ったうしに行けなくなったことを告げると、電話の向こうのうしは泣きそうな声で頑なに嫌がって、自分がそこまで送っていくからと言って、車でわたしを迎えに来てくれた。

 冷たい雨の日で、風も強くて、本当になにもかもが辛くて心が折れてしまいそうだった。

 その帰り道、書類を無事に受け取れて、調停の申し立ての手続きも完了してほっとしたからか、ずっと泣いていたわたしにうしはたくさんの言葉は語らなかったけれど、あれからずっと黙ってそばにいてくれている。

 

 倫理的にどうかという問題は私の中にずっとあるけれど、もちろん、良いことだとは思っていないけど、うしがあのとき一緒にいてくれなかったら、私は生きていなかったかもしれない。

 

 長女が発達障害と診断されるまで、彼女は異様にネットに依存してしまっていて、スマホを隠しても隠しても見つけてきては深夜まで、ひどいときは明け方までずっとネット。当然、高校の授業にもついていけなくなって、とうとう進級できなくなった。留年はいやだと言い、転校もいやだと言ってきかない。

 高校へ出向けば教師たちはみんなあきれ顔。

『こんな怠け者は初めて見ました』

と嘲笑された。

 育て方が悪かったのかと自分を責めても誰も助けてはくれないし、親にも気にしすぎだと言われて、ようやく診断がくだされて出された薬を飲ませると、彼女はすっきりした様子だったが、まったく食事をとらなくなり、みるみる痩せていく。耐えられなかった。

『もういいよ、見ていられないよ』

そう言って話し合って、彼女は薬を飲むことを辞めた。

 夫が突然わたしに離婚を突きつけてきたのは、まさにそのころの事だった。

 

 もっと上手に乗り切れる人もいるのかもしれないけど、わたしにはできなかった。

 

 うしがいてくれてよかった。心からそう思っている。

 

 いつのまにか、わたしはうしとの年齢差を感じることが減ってきていて、反対に、うしに好意を感じれば感じるほど、うしの若さに恐怖を感じたりもする。

 どちらにしても、毎日がいつもどおりにやってくるとは限らないことを学んだから、わたしはうしとの時間を大切に過ごしたいと思っている。

 年甲斐もなくはしゃいでみたり、感謝の言葉をあふれるほど使って生きていきたいと、ほんとうに、ばかみたいに思っている。

 

 そんなわたしとうしの日常を綴ってみようと思っている。

 よかったらお付き合いください。